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引っ越します



引っ越し先はこちら。
http://ardenforest.cocolog-nifty.com/blog/

しばらくぶりですが、少しずつ追加していきます。

よろしければ、またおいでくださいね。

『アルゴ』(長文) [Film - 映画 - Film]

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アルゴってなに?

「内容は言えないけど今年ナンバーワンかも。とにかく見て」

と、試写会で見てきた友人の友人が言った(たくさん映画を見て目は肥えている人)。新聞広告は、私が苦手なハリウッド爆音ものという雰囲気だなあ。でもジョージ・クルーニーが制作にかかわっているなら、きっと間違いない。音楽もアレクサンドル・デスプラット。信頼できそう。

・・・

1979年、イランの米国大使館占拠事件での大使館員たちの救出を扱った作品。
といっても、救わなくてはならないのは、大使館で拘束された人たちではなく、ひそかに脱出して某所に身を潜めた職員たち6人のほう。

オープニング、79年のイラン革命に至る歴史をさっと見せたあと、画面は大使館を取り囲む人々を映す。
革命で国を追われたイラン国王の入国を、病気の治療という理由で許したアメリカに抗議する、というのは、少しねじれているような気もするが、この群衆の怒りのエネルギーはすさまじい。叫び声を上げ、銃を構え、錠のおりた門を乗り越え始める。敷地は広く、警備兵もいるが、建物に侵入しようとしてくる。館内の職員たちはあらゆる書類をシュレッダーと焼却炉にかけるが、抗議者たちの手に渡るのは時間の問題。

数十人の大使館員が人質になった陰で、6人はひそかに公道に出て、カナダ大使私邸に身を寄せる。もちろん極秘で。もう、顔をさらして空港に向かうことも、空港から出国することもできない。大使館職員の名簿から、6人足りないことはすぐにわかるし、市内を片端から調べればやがて居場所は知られてしまうだろう。

いかにその6人を救い出すか、本国アメリカで知恵が絞られた上で、もっとも荒唐無稽と思われた案が通る。彼ら6人は、アメリカではなくカナダの映画製作スタッフで、新作SF映画のロケハンのためにイランへ入国しただけで「予定通りカナダへ帰国」する、という筋書き。合流するもうひとりのスタッフになりすまして、CIAの職員(ベン・アフレック)が現地へ向かう。

・・・

『スターウォーズ』、『未知との遭遇』から日の浅い、79年当時のアメリカ人のファッションや髪形、オフィスの様子(携帯電話もメールもない)、当時のアメリカのTV番組や音楽に、なんとなく親しみがあって懐かしい。この事件、人質が解放されたという報道を私はうっすらと憶えている。子供の目にはわからなかったが、戦争になりかねなかったという意味では、キューバ危機(1962年)に迫る緊迫感だったのではないか? 無事に救出された、という歴史を知っているから良いものの、でなければとても見ていられない。怖い。

怖い、と思うのは、私がアメリカ人職員の側からこれを見ているから。6人のうちアラビア語がわかるのは一人だけ。イランの群衆、係官たちのアラビア語の台詞は、字幕が出なくて何を言っているかわからない。壁のアラビア語も読めない。その心もとなさは、そのまま職員たちの恐怖でもある。しかし、これは映画(フィクション)の世界ではなくて、この国は今も現実に存在して、アメリカや日本の決まりとは違う仕組みで生活している人たちがいる。人命は大切だけれど、単純に善玉、悪玉と分けて済む問題とも思えない。

「イランの人々の暴力的な面が目立ち、どうしてここまで反米行動に至ったかという丁寧な描写はないのが、CIA職員の側から描いたこの作品の限界かもしれない」と、この映画の紹介記事にあった。監督・主演のベン・アフレックは、中東情勢を専攻していたそうで、この事件を今扱うのは大きな意味がある、という。その通り、ただのスリリングな娯楽作品としては見られない。細かい伏線と、終盤の展開は多少エンタテインメント性を増すために作ったかもしれないけれど。イランにとってはとんでもない作品かもしれない。

救出当時とその後もずっと、この話は機密扱いとされ、1997年クリントン政権時代に初めて経緯が公開されたというが、最後のクレジットには「CIAはこの映画の内容の信憑性も映画化も一切認めていない」という断りが出る。

怖いし、いろいろ考えさせられた末、最後に「監督 ベン・アフレック」というクレジットが出た時は、よくやった!と拍手したくなる。いつの間にかとても良い大人の役者になった、というだけでなく。

試写会では、内容を他人に話してはいけないと、緘口令が敷かれたそう。しかし前売り券は公開前日で既に売り切れだった。当日券1800円を払って見たが、その価値はあったと思う。しばらく頭が東京に戻ってこられなかった。満足。

(2012.11.6.)

ケン・フォレット『大聖堂』(上・中・下) [Boeker - 本 - Bucher]

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おもしろかった!
・・・ようやく読み終わった。永久に終わらないようだったのでちょっと残念。

(この本、地震の直前に貸してもらっていたのに、あの直後は本が読めず。
 数日たって読めるようになったのは、ビジネス書。そのあとやっとスタート)

途中まではTV版を見ていたので、登場人物はみんなそのイメージがある。
でもやはり、TVでは時間の厚みや、権力争いの複雑な経緯までは描ききれないので、本を読んでようやく納得している。

「老伯爵とその娘と息子」と「敵対する伯爵とその妻と息子」
「敬虔で謙虚な修道士」と「ずる賢い司祭」
「石工の棟梁とその家族」と「不思議な女とその息子」

それぞれにはっきりと描き分けられて、魅力的な登場人物たちが、
何年もの時を経て関わりあい、何重にも組み合わされたロープのように複雑に重なっていく。その真ん中にずっと通っているのが、大聖堂という柱。

人がどんどん死ぬし、残酷なシーンはあるし、だけど、
次々に起きる難題と、それをくぐりぬける爽快感は病みつきになる。
読みながら、登場人物によって、自分の気持ちがいろいろな色にかわる。

ケン・フォレットは、作家になろうと決めて、なるからにはベストセラー作家になろうと考えた。そして、それまでに出ていた人気作家の作品を読んで研究し、売れる本の要素をつめこんで作家になった…と、10年くらい前のインタビューで言っていた。インスピレーションの沸くままに書くタイプではない、という。でもこの作品はデビュー前から構想していたもので、その研究の成果もあるかもしれないけれど、他の作品とはおそらくちょっと毛色が違う。本人もいちばん思い入れがある作品と言っていたような気がする。

上巻はあまりペースに乗れずにのろのろ読んでいたが、だんだんスピードが上がり、下巻は3日で読めた(速い、という意味)。

原題 The Pillars of the Earth はどういうことかな。邦題を『大聖堂』としたのはよかった。

建築は、写真で見てもあまり意味がない。その場に行って、建物の量感や、中の空間の広がり、何より、その土地の光や空気を自分の体で感じなければ、わからない。その点で、どんんな絵画や彫刻よりも、味わうまで手がかかる芸術作品。

キングスブリッジは見られないとしても、サン・ドニの大聖堂には行ってみたくなった。

(2011.6.10.)

『わたしを離さないで』 [Boeker - 本 - Bucher]

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この作家の小説としては、ページ数は多くない。
若い女性による語りは、言葉もやさしい。
でも、このような種類の哀しみ、これほど深い哀しみを湛えた作品は、読んだことがない。

英国のどこか、町から離れた美しい緑の中にある全寮制の共学校で、18歳までの生徒たちが生活している。
敷地の外には出てはいけないことになっている。
たまに「マダム」が訪れ、生徒たちの絵や詩を選んで持っていくのと、バザーのような催しのために販売品が届くのが、外の世界との限られたつながり。

キャシーは4年生で、どちらかというとおとなしいタイプ。
いつも一緒にいるルースは、活発で、場の中心にいたいタイプ。

クラスメートのトミーが、他の男の子たちにからかわれ、かんしゃくを起こすのをキャシーがなだめたことで、ふたりは友達になる。
やがて3人は18歳になり、その学校を離れるときがくる。

ずっと「あなたがたは特別なのです」と言われて育った彼らが
どう特別なのか、どう違うのか、生徒たちと読者は少しずつ知らされる。

 * * * * * * *

カズオ・イシグロの作品では、語り手はよく過去を振り返る。
若くない女、年老いた画家、老執事、働き盛りの私立探偵。
懐かしい日々の思い出は美化されるものかもしれないし、
語り手は、今はその過去とはだいぶ違う状況にあることが、繰り返しほのめかされる。
何かの理由で、現在と過去とは決定的に状況が違ってしまっている。

この作品の語り手キャシーは、おそらく30歳前後。
子供時代の思い出には友達とのたくさんの会話も織り込まれ、軽快で読みやすい。
でも、言葉は細心の注意をはらって選ばれている。

彼女たちの運命を説明するある単語は、物語の後半で初めて登場する。確かほんの2-3回。
その時までに、読者にはほぼ真相がわかっているので、予想もしない衝撃、というのとは違う。
でも、すでにある程度、物語の中に身をおいたあと、この事実に向き合うと、先の問いがふたたび戻ってくる。静かでずっしりした哀しみと共に。
「彼らはどう特別なのか」。
こんどは反語的に。

だから、まだ読んでいない人にこの作品を紹介する時、
無造作にその単語を使ってはいけない。
丁寧にひと針ずつ縫いとりのされた絹の布を
どろどろの足で踏みつけるようなものだから。

(でも、刊行当時も、映画の公開された最近も、
新聞でうっかり読んでしまったイシグロへの3つのインタビューでは
3つともその言葉が使われていた)

読み終わっても数日は余韻が残っていて、気がつくと、
これはカズオ・イシグロのベストではないか、と思っている。

映画版は、ほぼ全編、読んでいたときのイメージ通りだった
(映画なりの省略は多少あっても、気にならない)。
映像の色調も美しく、一貫して抑えたトーンで撮られている。


華やかな作品ではない。人気者、K.ナイトリーが出ていようと、地味で静かなのは事実。
ふたつ隣の席の男の人は、中盤でもiPhoneの画面で時間をチェックして(←迷惑)、最後のクレジットが始まるとさっさと出て行った。他にも、出て行きながら「わかったあ?」と言っている声がいくつか聞こえた。…ふつうのラブストーリーを期待してきたのだったら、残念でした。
(と、ここまで書いて、「ふつうのラブストーリーってどんな?」という疑問が出てくるけれど)

繊細で、緻密で、詩的。巧みに作られた、美しい作品。

(2011.4.6.)

曽根麻矢子(cemb) + 古部賢一(ob) [Konsert - 演奏会 - Konzert]

18:20に職場を出て、5分後には、小さなホールにいた。
当日券の列に並んでいると、知らない人が「友人が来られないので」と、招待券をくださった。

職場近くにある、室内楽サイズの良いホールなのに、あまり聴きに来たことはない。
でも、ときどき、平日のお昼や夜に、小さな演奏会がある。昨年は、大萩康司さん(g)や、横山幸雄(p)&矢部達哉(vn)のデュオを聴いた。演奏者の服装はいつもカジュアルで、曲の説明などの話も入る。親しみやすい良い雰囲気。
きょうは、チェンバロ。チェンバロだけの演奏会には、なかなか出会わない。
黒と金の蒔絵のような、とてもきれいな楽器がステージに置いてある。

奏者が、ステージに、つかつか、と姿勢よく入ってきて、すぐに弾き始める。

・J. S. バッハ: 平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調BWV846よりプレリュード
アヴェ・マリアの曲。短い曲なのに、こちらがどんな状態にあっても、たちまち浄化され、気持ちを落ち着かせてもらう。

奏者の曽根さんは、ショートヘアに、ノースリーヴの長めの黒っぽいブラウスと、ワイン色がかったグレーのゆったりしたパンツ。
バロックの時代がかったイメージとはだいぶ違う(カッコイイ)。
1曲目が終わると挨拶と曲の説明。はきはきしてきれいな声。

・D. スカルラッティ: ソナタ ニ長調K.492、ソナタ 二短調K.517、ファンダンゴ
スカルラッティの曲はもっと聴いてみたいけれど、演奏会でどれくらい弾かれているのかしら。。
ファンダンゴは、奏者がパリにいたときに、仲間とセッションしていてできあがってしまったオリジナル編曲版。譜面もないし、他の誰も弾かないバージョンとのこと。やっぱり、バロック=ロックだな。

次はオーボエとの共演。
・G. F. ヘンデル: ソナタ ヘ長調op.1-5
オーボエの曲ってあまり聴いたことがない。やわらかくて体になじむ優しい音。(ヘンデルも、どれも良いと思いつつ、曲が多くてとても追いきれない)

・P. ロワイエ: アルマンドハ短調、スキタイ人の行進ハ短調
チェンバロ独奏。チェンバロの音は、勢いよく疾走することもあれば、そっと囁くこともあって、空間の広さとしてはこのホールくらいが限界かも。
今日は微熱があることもあり、うとうとしてしまう・・・あんまり気持ちいいからです。ごめんなさい。

・J. S. バッハ: ゴルトベルク変奏曲BWV988より「アリア」、「第30変奏曲」
はじめと終わりをひとつずつ。
この曲は、ピアノ版だと、音の粒が独立して丸く転がってしまうので、私はチェンバロか弦楽合奏版で混ざり合うほうが好きかな。パイプオルガンでも良い。

・J. S. バッハ: ソナタ変ホ長調BWV1031
ふたたびオーボエとの共演。こういうタイトルは憶えられなくて困るよ・・・だけど、まんなかの「シチリアーノ」は、ずっと前、姉がフルートで、母のピアノと一緒に吹いていた曲だ。

アンコールは2曲。
照明がついても、まだ1時間しか経ってない。
舞台前に、あのきれいな楽器を見に行く。曽根さんのご自宅から運んできたという。空気が乾いているので、湿度管理が必要な様子。

フランス組曲のCDを買い、外に出ると、ちょうどバスに間に合う。
いつもとあまり変わらない時間に家に着く。ゆっくりご飯を食べられる。
一般的な演奏会は、家に着くともう10:00だから、ずいぶん違う。
こういう気軽なクラシックが、もっともっとあって良い
(しかも、券は知らない人に戴いたんだった!)。

(2011.2.2. 第一生命ホール 
 この日の演奏は4月7日早朝にNHK-BSで放送の予定)

疲れてきたら [Musik - 演奏会に行かない日]

これ見てみて。

http://www.youtube.com/watch?v=7EYAUazLI9k

南関東(被災地でない)の人たちへ、今週の過ごし方(推奨)

演奏会の感想を載せる前にちょっと道草を。

知人のblogでこのリンクが紹介されていたので、転載します。

ご一読を!



http://bit.ly/gMvffM

(転載は以上)


ガスが使えるとしても、停電中のお料理は危ないのでやめましょう。

ろうそくもむやみに使わないほうが良いです。
離しているつもりでも、意外と近くのものに火が移ることはあります。


明るいうちに活動して、早めに休みましょう。


声の力: オルフェイ・ドレインガー (2) [Konsert - 演奏会 - Konzert]

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オルフェイ・ドレインガー(スウェーデン王立男声合唱団)。
ウプサラ大学のグリークラブが元になっていて、150年以上の歴史がある。
5年ぶりに日本に来てくれた。

100人近い大柄な男性たちが、揃いの礼服&胸に団員であることを示す弓型のピンをつけ、ずらりとステージに並ぶのは壮観。

その演奏は、格調の高さと、親しみやすさを兼ね備え、
きちんとしているのに、堅苦しくなく、
地に足がついていて、リラックスできる。
グレードは一級。

よく考えると、これはスウェーデンの様々なものごとについて感じること。
社会のいろいろな仕組みやサービス、
日本でも人気のあるいろいろな工業製品や日用品。
スウェーデンの街を歩いていてもそれは感じる。

演奏が良い演奏会はたくさんあるけれど、
その場にいられて幸運だった、とまで思えることはそのうち何割か、
それが堅苦しくなく、笑顔とあたたかい気持ちに包まれることはさらに少ない。

最初は必ず「OD讃歌」で始まる。
ベルマンがこの合唱団のために書いた、テーマ曲。ああ、聴けてよかった。

前回と同様、挨拶と曲の紹介は日本語で始まった。
・・・しかし! 
「ワタシハ、ジブンガ ナニヲイッテイルノカ マッタクワカリマセン」(客席爆笑)。
そのあとは英語。でもこれで会場中の空気が一気にやわらかくなった。

アメイジング・グレースの組曲、北欧の羊飼いを歌った曲。
今回はゲストに女性のソプラノ歌手を迎えている。
いったい人間の声ではどこまで行けるのか。
この人たちはどんなことも成し遂げてしまう。
歌が終わった後は、まるでパイプオルガンを聴いているかのような、残響、余韻までが音楽。

お客さんも良かった。
歌声やピアノの最後の音がぜんぶ消えて行って、 その余韻まで見送ってから、拍手がはじまる。
こういう演奏会はなかなかない。

ODの本拠地ウプサラには、2001年の夏に行くことができた。

ストックホルムに近い、古い大学街。
イングマル・ベルイマンの映画『ファニーとアレクサンデル』でこの街を知り、行くなら雨の日、と思っていた。
はじめてのスウェーデン旅行で珍しく小雨になった日、きょうはウプサラに行こう、と決めた。

写真はストックホルムの朝、水辺にて。この日、このあと、ウプサラへ行った。
毎年4月30日、春の到来を祝う日に、ODが開くという演奏会に一度行ってみたいと思う。

(2010.10.9. 東京オペラシティ)

声の力: オルフェイ・ドレインガー (1) [Konsert - 演奏会 - Konzert]

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2005年10月、遅い夏休みの最終日、スウェーデン第2の都市イェーテボリ。

空港に着いたのは離陸5分前で、コペンハーゲン行きの便に乗り損ねた。当然、コペンハーゲンからの成田便にも乗れるはずがない。その場で翌日の同じ便を予約し、やっとのことで宿を確保。気は動転、心細い。(乗り遅れたのに、飛行機が追加料金ゼロだったのは実にラッキーだったと後で知った)

いつもは必ず窓際に座るのに、翌日乗った便では真ん中4人掛けの内側。しかも両側がヨーロッパ男性で狭い。運がわるい・・・というか、あぁ失敗したぁぁぁ・・・前日乗り遅れたばっかりに。それになんだか騒がしい。コペンハーゲンから東京への便がこんなに北欧人だらけなのは変だ。隣のお兄さんは、ヒゲ、ハンティング帽、腕にタトゥー。迫力。でもその分厚い本は何? 医学書? 12時間ひとことも話さないのもなんなので「なんか、みんな楽しそうですよねー」と、恐る恐る言ってみる。

なんと、彼らはみんな合唱団のメンバーで、これから日本ツアーに行くところだという。オルフェイ・ドレインガーって? 王立男声合唱団?? 初耳。予定の曲目を見せてもらう。合唱曲はあまり知らないけれど…おお、なんと池辺晋一郎さんへの委嘱作品初演がある。そんなすごい人たちなの? 東京ではいつ、どこ? 行けるかしら? 日付をメモ。

翌週、東京オペラシティへ聴きに行った。100名近くの団員がステージに並び、無伴奏で歌う。池辺さんの新曲は、日本のいろいろな民謡を取り入れた歌で、方言や、はやし言葉の日本語を彼らはなめらかに歌う。シューベルト、ブリテンの歌もあった。フィンランドの作曲家による、歌詞はなくて声だけでオーロラや吹雪を表した曲は圧巻。始まるまで曲目のわからない「カプリース」というコーナーではたくさん笑わせてもらった。ヒゲの医学生のお兄さん、テナーらしい。そう、彼らはフルタイムの合唱団員ではなく、みんな別に仕事をもっている。それでこのグレードとは!

そして、あるとき、すべての団員がステージを降りて客席を取り囲んで立った。ライトが消えた。非常灯も含めて何もかも。まったくの闇。

その闇のなかで、黒人霊歌「シェナンドア」が始まった。いったいぜんたい、どうしてこんなことができるの? どうやって、客席に離れて立った仲間の間合いを取れるの? 闇の中でも指揮者がいて見えるみたいに、まったく乱れない歌声、ハーモニー。ぞっと鳥肌が立った。じんわりと喜びがわいてくる。これがメインの曲というわけではない。まだ曲はある・・・。

間違いなく、過去に行ったことのあるすべての演奏会のなかでベスト10位に入る。
私、なんて運が良いんだろう。あの飛行機に乗り遅れたばっかりに、来ることができた。
感謝。

(2005.10.13. 東京オペラシティ)

Snowberry [Aartid - 季節 - Jahrzeit]

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花屋さんで、今年も白い実のついた枝を見つける。「きょう入ってきたんです」。

シンフォリカリポス、見たときに買わないといけない花のひとつ。きょうは荷物が増えるし、花を持ってあちこちは動けない。いったんガマンしたものの、やはり一枝つつんでもらってしまう。一緒に白い花も少しだけ。多少じゃまではあるけれど、花を持って歩くのは楽しい。

上野の西洋美術館では、イタリアの美術館の展覧会をしている。展示を見る体力がないので、売店だけ見て少し買い物(邪道なお客ですね)。係の人が「きれいですね、なんていう花ですか?」「シンフォリカリポスといって、白とピンクとあって、秋の初めにちょっとだけ見かけるので、見たらその場で買わないといけないんです」。美術館の人に気に入られるというのは、なんだか嬉しい。それにレジの人とこんな会話、東京ではなかなか無いんじゃない? 

秋葉原で下車するのは生涯で4回目くらい。苦手な街だがCDを探しに行く。後悔。目には各社の広告のタレントの巨大な写真、耳には複数の店内アナウンス+BGM+各種キャンペーンのジングル+混雑整理の店員がメガホンで怒鳴る声・・・私がここに勤めたら一日で病気になると思う。CD見つからず、どっと疲れる。

新宿では、高島屋からHMVが消えたことを昨日知って大ショック。代わりにタワーへ。意外にクラシック売り場が広いし、お店の人は親切。しかし、あることで苦情めいたことを言ってしまう。結局、解決したけれど、こういうときは困る。その店員さんのせいではないのに言わないと、というとき。また買いに行きますから、気をわるくされませんように。少し反省。

世界堂でフレームを引き取るとき、店員さんが「きれいですね、なんの花ですか?」まあ、美術館に続き、今度は画材やさんで質問されるとは! 「これはシンフォリカリポスといって・・・」 きょうは六本木の花屋さんで見つけたけれど、ふつうの町の花屋さんにもあるときはありますよ。

去年オックスフォードで泊まった宿の玄関先に、無造作な感じに植わっていて、白い実をどっさりつけていた。だからそんなに繊細な植物ではなさそうだし、ギリシャ語だかラテン語だかのむずかしい名前ではなく、ふつうの英語の名前がきっとあるはず。

調べてみたら、正しくはシンフォリカルポス(「リ」でなく「ル」)、日本語ではセッコウボク(雪晃木)といい、Snowberryという名前があった。そうそう、こっちの名前のほうが断然良い。上野と新宿に行って、ふたりの女性に教えてあげたい。あの人たちもこの花(実)に巡り合えますように。

(一緒に買った花はなんていう名前か、茎から白い汁が出るので南の花らしい)
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(2010.9.20.)
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